指定年月日:平成11年 12月 1日
所在地:大川市大字小保136-17
旧吉原家住宅は、大規模で細部の意匠に優れ、建築年代も確実なものとして九州でも特に重要な建造物です。この住宅は柳河藩小保町の別当職を代々努め、後には蒲池組の大庄屋となった吉原家の居宅です。伊能忠敬の「測量日記」には文化9年(1812)10月に2度にわたって小保町別当吉原政右エ門家に止宿したことが記録されています。
主屋の建立は式台玄関の蟇股(かえるまた)に文政8年(1825)の墨書が残っており、当主吉原三郎左衛門三運により建築されたと考えられ、藩の公用に利用されました。天保年間(1830~1844)に幕末から遣わされた巡見使の宿泊のために御成門の新造や納戸周りの改造を行っています。旧吉原家は平成元年3月に大川市指定文化財に指定、平成3年10月から平成4年12月にかけて、当初技法を用いて半解体修理で保存修理工事を行い、古図をもとに復元したものです。
指定年月日:平成5年6月15日
所 在 地:大川市大字榎津548
二代目四郎兵衛の頃、寛永年間に造酒商売を始めました。延宝8年(1680)に起こった榎津大火で家屋が焼失し、焼跡に居宅を新築しました。元禄4年(1691)榎津町と改められて以来、浦町の目付役を代々努めています。四代清右衛門は宝永8年(1711)に酢商売を始め、宝暦9年(1759)に五代清右衛門と共に現在の場所に移り住んでします。以来、「庄分酢」の名で知られる、酢の醸造・販売を家業として現在に至っています。
現存する主屋は、宝暦9年(1759)に建築されたとみられ、九州では数少ない建築年代18世紀半ばに遡る町屋建築です。保存状態も良好で、屋敷構えも大きく、外観・内部の意匠にも優れ、九州を代表する町屋の建築として貴重な存在です。西側の離れ屋敷、屋根付板塀、土塀も主屋と一体となって変化に富む貴重な町並み景観を形成し、榎津町の伝統的町並みに欠かせない町屋建築遺構として、小保町の旧吉原家住宅と並ぶ高い歴史的価値を備えています。